ドーピング検査とクロマトグラフィー (東京医科歯科 2017年化学)

 前々回の投稿にて、東京医科歯科大からサリンに関する入試問題を紹介しました。本学の化学の問題は医学に関連した独自色の強い問題が多く、2017年に出題された本問もその一つです。トーピング検査をテーマとして、現代化学において必要不可欠な分析手法であるクロマトグラフィーを扱った内容となっています。

 ページ数は前回のサリンの問題より多いですが、図表が大部分を占めている為、分量としては今回の方が控えめかもしれません。

(本問の背景)

 問題文中でも説明がある通り、クロマトグラフィー(chromatography)は試料中に含まれる複数成分を分離する為の手法です。クロマトグラフィー法では移動相と呼ばれる液体或いは気体と共に、試料を固定相と呼ばれる物質(ろ紙、シリカゲル、イオン交換樹脂など)へと流します。その際、試料中の各成分は移動相や固定相と異なる強さで相互作用を起こし、その差によって各成分は分離されるという訳です。

 最も原始的なクロマトグラフィーとしては、ロシアの植物学者ミハイル・ツヴェットがろ紙と水を用いて行ったペーパークロマトグラフィーが知られています。1903年、ツヴェットはクロロフィルなど多数の色素を含む植物抽出物をろ紙上へスポットし、その下端を水に浸すことで植物性色素の分離に成功しました。

 この場合ろ紙(セルロース)が固定相として働き、移動相である水は毛細管現象によって色素成分と共に上端へと移動してゆきます。

解答・解説

(問1): 下図参照

 前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ります。問1は本実験で比較対照薬物として使用する、イソブチルベンゼンの構造についての問題です。ブチル基は-C4H9で表される炭素数4の鎖状飽和炭化水素基で、以下のように4種類の構造異性体が存在します。

 これら置換基の名前を知識として持っていれば単なるサービス問題ですが、知らない場合でも図3-1で示すメタンフェタミンやエフェドリンに類似しているというヒントがあります(sec-ブチル基と迷いそうではありますが)。

(問2): 強酸である過塩素酸によりタンパク質分子内の水素結合が破壊され高次構造を維持できず変性する。変性したタンパク質は分子間力によって凝集・沈殿する。

 タンパク質が正しい高次構造を維持する為には、アミノ酸残基どうしのペプチド結合に加え、水素結合やS-S結合といった離れた残基間の相互作用や共有結合の存在が重要な役割を果たします。一方でタンパク質内における水素結合ネットワークはpH変化による影響を受けやすく、例えば酸処理や塩基処理によって生理的pHを維持できなくなってしまった場合容易に破壊されます。そして水素結合ネットワークが一度破壊されてしまったタンパク質は、もはやその高次構造を維持する事が出来ずに分子間力によって凝集、沈殿してしまいます。
 塩素系オキソ酸は次亜塩素酸(HClO)、亜塩素酸(HClO2)、塩素酸(HClO3)及び過塩素酸(HClO4)の4種類が知られています。過塩素酸(HClO4)はその中でも最も強い酸性を示し、しばしばタンパク質を沈殿させる試薬として用いられています。
 なお、本問とは趣旨とは無関係ですが過塩素酸中の塩素原子の酸化数は+7であり、こちらもしばしば入試にて問われることがあります。

問3: 6 cm

 本問より本格的にクロマトグラフィーが登場し、問3及び問4は薄層クロマトグラフィーに関する出題です。
 ガラス板+シリカゲルによる薄層クロマトグラフィーは、先述のペーパークロマトグラフィーと仕組みは同様ですが(試料をスポット後、下端を移動相に浸して毛細管現象にて展開する)、溶媒の展開速度が圧倒的に早く、使用できる発色試薬の種類も多い(発色試薬の中には加熱を要求するものが多く、ろ紙を用いた場合発火します)など数多くの利点を持ちます。現在でもTLC(Thin Layer Chromatography)の名で、試料の簡易分析を中心に幅広い目的で使用されています。

 問3はエフェドリンのRf値からスポットの位置を求める問題です。予備知識は無くともRf値の定義は図3-3に図解されているので、落ち着いて読めば大丈夫です。但し、設問文の「溶媒が上がった先端までの距離が10cmのとき」については薄層固定相の下端からではなく、原点からの距離(即ち図3-3のB)と解釈しています

 設問文より図3-3のBにあたる長さが10cmであるので、Rf値の定義から「原点からスポットまでの距離」(図3-3のA)は10 x 0.5 = 5cmです。従って薄層固定相の下端からスポットまでの距離は、下端から原点までの長さ1cmを足して 6cmと求まります。最後の1cmを足し忘れて泣きを見ないように注意です。

問4: 下図参照 

 問4は薄層クロマトグラフィーにて分離した化合物を、各種の発色試薬を用いて検出し、その結果を図解せよという内容です。各試薬の性質や、固定相と化合物の相互作用については本文の「4.薄層クロマトグラフィーの実験」に記載がありますので、やはり予備知識は不要であり、制限時間内における正確な読解力が問われる問題です。

 設問から各化合物のRf値はエフェドリンが0.5、残り2つの化合物は0.7及び0.9であると分かります。方法1のヨウ素粉末は3つのスポットを全て発色させるので下図左のような結果となります。明確な指定がある訳ではありませんが、設問でRf値が明記されている以上、各スポットの位置関係については距離の相対値を記入するなりして可能な限り正確に描写した方が良いでしょう。

 次に方法2のドラーゲンドルフ試薬ですが、こちらはメタンフェタミンのみを発色させます。Rf = 0.5はエフェドリンと分かっているので、残るRf = 0.7と0.9のスポットのいずれかがメタンフェタミンとなります。本文より2級アミン(-NH-)を持つメタンフェタミンはイソブチルベンゼンよりも強く固定相に吸着されると判断出来る為、Rf = 0.7がメタンフェタミンであり、結果は下図真ん中のようになります。

 方法3のニンヒドリン反応はエフェドリンのみを発色させます。エフェドリンについては既にRf値も与えられているので、解答は下図右のようになります。なお、エフェドリンは2級アミンに加えて水酸基を有する為、3つの成分の中では最も強く固定相に吸着して、Rf値も最小になっています。

問5: (a) イソブチルベンゼン (b) メタンフェタミン (c) エフェドリン

 薄層クロマトグラフィーと同様、高速液体クロマトグラフィー(通称液クロ)も各成分を固定相や移動相に対する相互作用の差を利用して分離します。前者が主に予備的な分析に使用されるとすれば、後者はより本格的な分析を目的に使用されます。

(図) 高速液体クロマトグラフィーの概略 

 高速液体クロマトグラフィーでは、固定相をカラムと呼ばれる金属製或いはガラス製の円管内に充填し、入り口にセットした試料に対して圧力をかけながら高速で移動相を流し、薄層の場合と比べて高い分離能を示します(上図参照)。

 薄層クロマトグラフィーでは固定相上の成分を発色試薬などを用いて検出しますが、液クロの場合は固定相の出口に、特定の信号を検出・記録する検出器が備え付けられており、結果はクロマトグラムと呼ばれるグラフとして出力されます。検出器のタイプには様々なものが存在し、物質による光の吸収を記録する吸光光度計やサリンの分析でも登場した質量分析器が代表的です。

 問5は液クロによって分離された各成分(エフェドリン、メタンフェタミン、イソブチルベンゼン)が、クロマトグラム上のどのピークに相当するかを決定する問題です。
 クロマトグラムの横軸は「成分が検出されるまでに要した時間」です。問4で答えた薄層クロマトグラフィーの結果を考慮すると、イソブチルベンゼン→メタンフェタミン→エフェドリン の順番に検出器に到着するので、クロマトグラムにおけるピークの並びもこの順になります。
 薄層クロマトグラフィーにおけるRf値とは大小関係が逆転するので、前問のイメージに引きずられないように注意が必要です。

問6: y = (15/2)x – 10 (プロットは後述)

 問6及び問7は液クロを用いたドーピング検査に関する問題です。各種クロ的グラフィーによる分析の目的は定性分析と定量分析に大別され、前者は試料中にどのような成分が含まれているかを調べる目的で行い、後者は検出された物質がどの程度含まれているかを調べる目的で行います。
 例えば同じドーピング禁止薬物でも、メタンフェタミンの場合は定性分析により成分が検出された時点で即違反ですが、後者の場合成分が検出された時点では違反とはならず、定量分析によって基準値を超えた時点で初めて違反と判断されます。例えば薄層クロマトグラフィーではRf値と発色試薬を利用して禁止薬物の簡易的な定性分析を行うことは出来ますが、定量分析は不可能です。

 一方の高速液体クロマトグラフィーでは問題文に解説されている通り、濃度未知である目的成分(エフェドリン)のシグナル強度と濃度が分かっている内部標準物質(イソブチルベンゼン)のシグナル強度の比を用いることで、目的成分の定量分析が可能です。

 問6では定量分析の前準備として、互いに濃度が分かっているエフェドリンとイソブチルベンゼンのシグナル強度比を算出し、エフェドリン濃度とシグナル強度比の間の関係式(検量線)を決定します。図3-5及び図3-6のシグナル強度比はそれぞれ、10/5 = 2 及び32/8 = 4と求まるので、検量線用のプロットは以下のようになります。

 本問では検量線を一次関数と仮定して良いので、(2, 5)及び(4, 20)を通る直線として y = (15/2)x-10 (y = 7.5x – 10)が求まります。

 本問では簡略化の為2点しかプロットを行っていませんが、実際に検量線を作成する場合は3点以上のプロットが基本です。実際本問で作成した検量線は理論的な関係式(比例関係)からは大幅にずれています。

問7: 13 μg/ml, ドーピング陽性

 問7は問6が出来ていればサービス問題です。図3-7から尿検体中のエフェドリンとイソブチルベンゼンのシグナル強度比(x)は21/7 = 3と求まるので、これを問6で求めた検量線に代入して、尿中エフェドリン濃度 : y = 7.5 x 3 -10 =12.5 ≒13 μg/mlを得ます。基準値は10 μg/mlで、尿中濃度はこれを上回っているので陽性となります。

コメント

 本問は現代化学に不可欠な分析手法であるクロマトグラフィーを医学に関する現実問題(ドーピング検査)と絡めた面白い問題です。問1及び問2を除けば予備知識は不要であり、試験場での限られた時間内で正確に問題文の内容を理解することが要求されます。クロマトグラフィーの原理や、設問の意味が分かってしまえば計算量は非常に少ないので良心的と言えます。

投稿者: matsubushi

趣味で数学など

ドーピング検査とクロマトグラフィー (東京医科歯科 2017年化学)」に2件のコメントがあります

  1. 大学だとどうせこれ使うんだろって常套手段ですけど、高校生に出すのはいい発想ですよね
    初めて見た機械を空想だけで推理して、より創造力を高める問題が面白い(*´ω`)

    こうして見ると高度(私にとっては…)な数学予想するのですね。
    Rさんがいなくてよかった…

    いいね: 1人

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