医薬品開発の歴史を辿る (2020年 東大 化学第1問 ① )

 今回は今年の入試から、東大の有機化学問題をピックアップします。ここ最近の東大化学は第1問が有機化学で固定されており(昔は第3問が通例でした)、更に問題Iと問題IIに分かれています。

 問題Iは有機低分子の構造決定と糖に関する複合問題です。本格的な構造決定は問題IIに譲っているためか、本問はどちらかというと糖に関する知識問題の比重が高めです。(構造式の例)の部分にスクロースの構造式が掲載されており、糖の構造式の記憶に不安のある受験生にも優しい仕様です。

(解答+解説)

ア: C13H18O7

 どの大学でも出題される、完全燃焼実験による化合物の分子式決定問題です。計算は割愛しますが、化合物71.5 mg中には炭素が39 mg, 水素が4.5 mg、酸素が28 mg含まれていることが分かり、ここからモルに換算して組成式C13H18O7を得ます。
 幸いなことに分子量は既に与えられている為、分子式も組成式と同じC13H18O7と分かります。

イ: B グルコース D フルクトース F アセチルサリチル酸

 化合物Bはデンプンやセルロースの構成要素であるグルコースです。グルコースは下図の通り、水中ではアノマー位(2つの酸素原子が結合している箇所)の立体異性体であるα-グルコースとβ-グルコース及びアルデヒド基を持つ鎖状構造の平衡混合物になっています。同じグルコースのポリマーであっても、デンプンはα-グルコース、セルロースはβ-グルコースを構成単位としており、その性質は大きく異なります。

水中におけるグルコースの平衡

 化合物Dはグルコースと共に、スクロースの加水分解によって生じるフルクトースです。酸や酵素によるスクロースの加水分解によって生じたグルコースとフルクトースの混合物は転化糖と呼ばれ、ハチミツやジャムに多く含まれます。同量のスクロースより甘みが強い為、砂糖の量を減らす目的で使用されます。

 化合物Fは「解熱鎮痛剤」「無水酢酸と反応」といったキーワードから、アセチルサリチル酸(アスピリン)であると推測されます。ただ、この時点では完全に確定した訳ではなく、以降の議論で確認することになります。

 いずれも基本レベルの知識問題であり、落とすわけにはいきません。

ウ: 環状構造: 5つ 鎖状構造: 4つ

 親切にも環状グルコースの構造(スクロースの部分構造としてですが)は、(構造式の例)に示されている為、環状構造については赤丸で囲った不斉炭素原子を丁寧に数え上げるだけです。

環状及び鎖状グルコースの不斉炭素原子

 鎖状構造ではアノマー位がアルデヒド基になっている為、環状構造より不斉炭素原子の数が1つ少なくなります。

 本問も、グルコースの構造が問題文中に示されていることも含めて基本レベルと言え、東大受験生であれば完答が要求されます。

エ: 赤色沈殿を生じる化合物: セロビオース、マルトース
(理由): セロビオース及びマルトース分子を構成するグルコース単位の一方は、水中で一部アルデヒド基を持つ鎖状構造をとる為、これらの二糖類はフェーリング液を還元して酸化銅(I)の赤色沈殿を生じる。

 先述の通り、グルコースなどの単糖類は水中において、一部還元性を持った鎖状構造を取っています。しかし、アノマー位のヒドロキシ基を他の糖とのグリコシド結合に使用してしまった場合、水中でも鎖状構造を取ることが出来ず還元性を失います。

 セロビオースやマルトースのように、アノマー位のヒドロキシ基がグリコシド結合に使われずに一つでも残っている場合は、その構成単位が鎖状構造を取ることで還元性を示します。一方で本問のスクロースのように、構成する単糖のアノマー位のヒドロキシ基が全てグリコシド結合に使用されてしまった場合、還元性は失われます。

 大学入試で登場する非還元糖は専らスクロースですが、その他の例として食品添加物として知られるトレハロースがあります。トレハロースはマルトースやセロビオース同様、グルコース2分子が縮合した二糖類ですが、お互いにアノマー位のヒドロキシ基をグリコシド結合に利用している為、還元性を示しません。

トレハロースは互いにアノマー位でグリコシド結合を形成し、還元性を示さない。

 本問は唯一の論述問題ですが、問われているのは糖の還元性に関する基本レベルの内容です。あまり時間をかけずにきっちりと仕上げたい所です。

オ: 下図参照

 化合物Aは加水分解によってグルコースと化合物Cに分解されます。1分子の化合物Aが水1分子と反応して1分子のグルコースと化合物Cが生成されると考えた場合、

C13H18O7 + H2O → C6H12O6 + 化合物C

 となるので両辺の原子数を比較することで、化合物Cの分子式はC7H8O2 となります。また、化合物Cは塩化鉄(III)と反応して呈色することからフェノール性化合物であることも推測できます。

 一方で、問イで答えたように化合物Fがアセチルサリチル酸であるならば、無水酢酸と反応させる前の化合物Eはサリチル酸と考えられます。このことは、化合物Eが炭酸水素ナトリウムと反応する(カルボキシル基を持つ)、分子内水素結合を持つ(オルト置換体)といった本文の条件とも符号します。

 そして化合物Eがサリチル酸であるならば、化合物Cは酸化してサリチル酸となる化合物のはずです。従って先ほど求めた分子式と併せると、化合物Cはフェノール性水酸基と1級アルコールを持つベンゼンのオルト二置換体であると分かります。

 本問も構造決定問題としては標準レベルで、化合物Fがアセチルサリチル酸であると気づいてしまえば、あとは殆ど一本道です。

カ: 下図参照

 基礎~標準レベルであったこれまでの問題と比べると、本問は読解力及び思考力が問われます。

 これまでの議論から、化合物Aはグルコースと化合物Cのヒドロキシ基が脱水縮合した化合物であることが分かりますが、グルコースは5つ、化合物Cは2つの水酸基を持つため、10通りの組み合わせから正しい結合位置を決定する必要があります。

 化合物Aはフェーリング液と反応しないことから、還元性を持たないことが分かります。このことからグルコースにおける5つのヒドロキシ基のうち、アノマー位のヒドロキシ基が化合物Cとの結合に関わっていることが分かります。

 一方で、化合物Aは塩化鉄(III)に対して呈色しないことから、フェノール性水酸基を持っておらず、従って化合物Cの2つの水酸基のうち、フェノール性水酸基がグルコースとの結合に関与することが分かります。

 以上より、化合物Aはグルコースのアノマー位における水酸基と化合物Cのフェノール性水酸基が脱水縮合した化合物であることがわかりましたが、化合物Aにおけるグルコースが、α型、β型のどちらで存在しているかは不明のままです。

 そこで、これまで放置されていた二つの酵素X、Yの反応性について着目します。酵素X、Yはいずれもグリコシド結合の加水分解反応を触媒しますが、本文より以下のような基質選択性が分かります。

酵素X: セロビオース及び化合物A (マルトース及びスクロースは加水分解しない)
酵素Y: マルトース及びスクロース (セロビオース及び化合物Aは加水分解しない)

 4つの化合物はいずれもグルコース単位を持つ化合物ですが、このうちマルトース及びスクロースではα型、セロビオースではβ型として存在しています。

 このことから、酵素Xはβ-グルコース、酵素Yはα-グルコースを認識して加水分解を行う酵素であると考えられます。従って酵素Xで加水分解を受けた化合物Aはセロビオース同様に、β-グルコース単位を持ち、その構造式は以下の通りとなります。

酵素Xはβ-グルコースを認識して切断

講評

 最後の問題は、化合物Aの反応性に基づく縮合位置の決定や、酵素の基質選択性に基づく立体化学の決定を要求される難度の高い問題でしたが、それ以外は総じて基本レベルです。

本問の背景

(サリシン) 

 今回構造決定を行った化合物Aはサリシンと呼ばれ、天然物化学黎明期の1830年にヤナギ抽出物から抗炎症成分として単離された由緒正しい化合物です。その後、サリシンの抗炎症作用はサリシンそのものではなく、体内で分解されて生じたサリチル酸であることが明らかとなり、入手の容易さ(ヤナギに含まれるほか、有機合成も可能)も手伝ってサリチル酸は鎮痛剤、抗炎症剤として使用されるようになります。

 一方で、サリチル酸は強い苦みや副作用による胃潰瘍といった問題点を抱え、使用の難しい医薬品でもありました。この問題を解決したのが、アセチル酸を無水酢酸と反応させた「アスピリン」ことアセチルサリチル酸であり、アセチル酸の抗炎症作用を維持しつつ副作用を抑えた医薬品として爆発的なヒットを生み出しました。アセチルサリチル酸は、サリシンやサリチル酸とは異なり元々天然に存在していた分子ではなく、記念すべき「合成医薬品」の第一号となりました。

 本問はサリシンからアスピリンに至るまでの、言わば医薬品開発黎明期の歴史をなぞって、難易度などはさておき趣深いものがあります。

(配糖体)

 サリシンのような、糖以外の有機低分子と糖が結合した化合物は配糖体と呼ばれ、天然において幅広く見られます。

 糖は多数の水酸基を持つため非常に親水性が高く、単独では水に溶けにくい分子であっても、配糖体となることで水溶性が飛躍的に上昇します。生物における物質輸送は、基本的に水を介して行われるため、配糖体は重要な意義を持ちます。

 また、サリシンとサリチル酸の関係のように、配糖体となることで化合物の活性や毒性を弱めている場合も多くあります。糖はいわば「安全装置」としての役割を果たしており、酵素や胃酸などで加水分解を受けることで糖が外れ、化合物は本来の活性を発揮します。

 例えば下図に示すアミグダリンは、マンデロニトリルと呼ばれる芳香族化合物にグルコース二分子が結合した配糖体で、未成熟の梅の果実などに含まれます。

アミグダリンの構造

 アミグダリン自体は無毒ですが、胃酸や果実に含まれている酵素の働きで糖が加水分解を受けるとマンデロニトリルが生じ、マンデロニトリルは更に分解されて有毒なシアン化水素ガスを発生するという、時限爆弾のような化合物です。

投稿者: matsubushi

趣味で数学など

医薬品開発の歴史を辿る (2020年 東大 化学第1問 ① )」に3件のコメントがあります

  1. 基本に帰った問題ですね。
    アセチルサリチル酸の合成者は、サリチル酸でお腹を痛めてしまう父親のために合成したものでしたよね。
    バファリンの優しさも、あながち間違いでは無いですね。

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  2. 東大としては比較的穏やかな出題だったと思います( ˘ω˘ )

    確か、そういった逸話があったのは効いたことがありますね(*´ω`*)、古き天然物の時代に思いを馳せるのも良いですね( ˘ω˘ )

    いいね: 1人

  3. 今でも医薬品は新種の植物を求めていますし。大切ですよね~自然からの抽出は。
    アマゾンが燃えてしまうと、実にもったいないと思ってしまいます。

    いいね

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