ブラシノステロイド生合成と酵素反応 (2008年 東大化学 第3問-II)


 東大入試における化学の問題は教科書的な知識や計算のみで解決する場合は稀であり、多くの場合は試験場における読解力及び思考力が要求されます。

 本問は生体内分子の生合成と酵素反応に関連する有機化学分野からの出題で、多くの受験生に取ってはあまり見慣れないものでした。事実一般的な受験生が有する予備知識だけで即答出来る問題は一つもなく、問題文で提示された情報を正しく理解して解答を導き出す必要があります。

解答

問ク: N = 2, O = 4, Q = 1, R = 3

 問題文にもある通り、ステロイド骨格を持つ化合物Mは5つの中間体(N-R)を経て最終産物である化合物Sへと至り、その際6種類の酵素(E1~E6)が6種類の不可逆的な変換反応のいずれかを1対1対応にて触媒します。

 まず出発点と終着点である化合物M及びSの構造を比較すると、下図で示した(a)~(d)の4か所について構造変化が起きていることが分かります。

 今回与えられている酵素反応は「ヒドロキシル基の挿入(E1~E3)」、「アルコールをカルボニルへ酸化(E4)」、「カルボニルをアルコールに還元(E5, E6)」の3種類だけです。従って一度挿入された酸素原子がその後消失することは無く、(a)~(d)以外の箇所は今回の一連の反応で影響を受けないことが分かります。

酵素による変換反応は(a)~(d)の4か所で起こる

 また、酵素反応の性質から各反応の前後において化合物における酸素原子の数は1つだけ増加するか、変わらないかのいずれかです。従って図3-2で与えられている4つの構造(14)について、下に示す通り酸素数が多い化合物ほど一連の酵素反応の後半で登場することが分かります。

反応の後半になるほど酸素の数は多い

 
 更に特筆すべき点として、化合物Sの(a)の位置に存在する酸素原子は一連の酵素反応において、ケトン(化合物M及び図3-2の3)、ヒドロキシ基が紙面手前のアルコール(図3-2の2及び4)、ヒドロキシ基が紙面向こう側のアルコール(化合物S及び図3-2の1)の3種類の形を取ります。

 このこと及び最終産物である化合物Sのアルコールの立体化学から、化合物Mに最初から存在するケトンは下に示す通り、酵素E4, E5及びE6による還元→酸化→還元のプロセスを経て最終的にヒドロキシ基が紙面向こう側に存在するアルコールになると考えられます。

化合物Mに存在するケトンに対する酵素反応の流れ

 
 この段階で図3-2で与えられていない中間体を除くと、反応は「化合物M→構造2→構造4→構造1→構造3→化合物S」の順番で進行することが分かります。

 このうち「構造4→構造1」の変換については、「位置(a)のヒドロキシ基の酸化」及び「位置(d)へのヒドロキシ基の挿入」の二種類の酵素反応が必要になります。このこと及び、化合物Pに3つのアセチル基が導入される(=3つのヒドロキシ基を持つ)ことから、化合物MからSへ至る一連の反応は以下の通りと定まります(従って、図3-2で与えられなかった構造は化合物Pに相当します)。

一連の酵素反応

問ケ: 下図参照

 ケトンを2級アルコールに還元する還元剤は数多く存在しますが、生じたヒドロキシ基の付け根が不斉炭素原子の場合、原則として還元剤処理により生じるアルコールはヒドロキシル基の立体化学が異なる2種類の異性体の混合物となります。

 従って化合物Mを還元剤を用いてアルコールに還元した場合、酵素反応で得られる化合物Nに加えて、アルコールの立体化学が反転した異性体(化合物N’)も併せて生じるものと考えられます。


 化合物Mの還元剤処理によって得られる化合物N及びN’のうち、酵素反応でも得られる化合物Nは酵素混合溶液と反応させることで最終産物である化合物Sへと変換されますが、非酵素的な反応産物である化合物N’は酵素E1~E6のいずれの基質ともならない為、変換されずに残ります。従って答えるべき2種類の化合物は上図の化合物N’及び化合物Sに相当します。

問コ: N、O、R

 酵素E1はE2及びE3と共に特定の炭素について水酸基を挿入する酵素なので、化合物MからSまでの一連の変換反応の中で「N→O」、「O→P」、「R→S」のいずれかの変換を触媒します。しかしながら、問題文からE1~E3がどの反応を触媒するかを区別することは出来ません。

 仮にE1が「N→O」の反応を触媒する場合、E1を除いた酵素溶液では化合物MはE5またはE6の作用によって化合物Nに変換されますが、続く化合物NからOへの変換が起こらず、従って以降の反応が進行しません。よってこの場合化合物Nが最終的な反応産物として蓄積します。

 同様にE1が「O→P」の変換を触媒する場合は化合物O、「R→S」の変換を触媒する場合は化合物Rがそれぞれ蓄積するので、蓄積する反応産物として考えられるものは化合物N, O, Rのいずれかとなります。

コメント

 いわゆる知識問題は一切含まれず、酵素の特異性や酵素反応の厳密な位置・立体選択制を背景としたパズル色の強い問題です。

 内容は非常に面白いのですが、受験生が限られた時間内で問題文の意図を理解し、解答するのは中々大変な上に、各小問が互いに関連している為に部分点も稼ぎづらくなっています。特に化合物Mにおけるケトンの「還元→酸化→還元」のプロセスに気付かないと泥沼の危険性があります。

 いずれにせよ本問は「ほぼ満点」or「ほぼ0点」の両極端の出来と考えられ、仮に完答した受験生であっても時間をかけすぎたことで、他の問題の解答に影響を及ぼしたかもしれません。

背景

 ちなみに今回題材となったのはbrassinolideと呼ばれる、セイヨウアブラナ(Brassica napus) の花粉から単離された植物ホルモンの生合成経路の一部です(最近では高校生物の教科書で扱われるようになったようですが、当時はまだ扱われていませんでした) 

 実際には化合物S以降も反応は続いており、植物体内で更なる酵素反応を経て最終的にbrassinolideやその類縁体へと変換されます。生体酵素により触媒される反応は多岐に渡り、時には下図のような骨格変化すら引き起こします。

化合物Sは更なる酵素反応を経て植物ホルモンとなる

 東大農学部にはこのBrassinolideを含む植物ホルモンを扱う研究室もありますので、そのあたりの関係者が作問に関与したのではないかと個人的には考えています。

投稿者: matsubushi

趣味で数学など

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