夢の分子「テトラへドラン」 (2010年 東京慈恵会医科大)

正多面体と炭化水素

 炭素原子は4つの価電子を持ち、最大4つの原子と共有結合を形成することが可能です。そしてある炭素原子が4つの単結合を形成する場合、中心となる炭素と4つの置換基はほぼ正四面体に近い位置関係となるのが一般的であり、この原則は最も単純な炭化水素であるメタンからダイヤモンドの繰り返し構造まで幅広く見られます。

 しかしながら炭素原子が3員環や4員環などの小さい環構造を作る場合は正四面体構造を維持することが出来ず、化合物は「歪み」を抱えた不安定なものになります。それでも天然には3員環や4員環を持つ化合物が多数存在しており、下図に示すような驚くべき構造を持ったものも報告されています。

 
 では正四面体骨格の場合はどうでしょうか?予想通り炭素原子が正四面体骨格を形成するとなると、その歪みは通常の3員環分子とは比べ物にならない程大きく、長らく天然物としてはおろか、化学合成すら不可能な「夢の分子」と考えられてきました。

 しかし、有機合成化学者の驚嘆すべき執念やアイディアにより現在では炭素正四面体骨格を持つ化合物が幾つか合成されており、本問はそうした歴史の一端に触れた非常に面白い内容となっています。

問題文

解答

問1: 下図参照

 C4H4の不飽和度は3であり、鎖式炭化水素(環構造を持たない)に限定して考えれば、「三重結合を1つと二重結合を1つ持つ」か「二重結合を3つ持つ」のどちらかであることが分かります。炭素原子における「手の本数」の制約から二重結合と三重結合が隣接する事は無いため、結局以下の2種類の化合物が答えとなります。


 テトラへドランの構造異性体だけあってどちらもかなり特徴的な構造をしていますが、不飽和度に基いて落ち着いて考えれば決して難しくはありません。

問2: C3H6 + 9/2 O2 = 3CO2 + 3H2O + 1875 kJ

 結合エネルギーとヘスの法則を利用して燃焼熱を計算し、熱化学方程式を完成させるタイプの問題ですが、本問ではシクロプロパン分子で生じる「ひずみエネルギー」存在を考慮する必要があります。

 問題文で提示されている値からO2、CO2、H2O分子持つ結合エネルギー(kJ/mol)はそれぞれ、494 (O=O x 1), 1598 (C=O x 2), 918 (O-H x 2)です。一方シクロプロパンは分子内に3つのC-C結合及び6つのC-H結合を持ちますが、ここに「ひずみエネルギー」に相当する不安定化が起こる為、最終的な結合エネルギーは

3 x 366 + 6 x 411 – 114 = 3450 kJ/mol

 と計算されます。最終的な燃焼熱をQ kJとすると

Q = (生成物の結合エネルギーの総和) ー (反応物の結合エネルギーの総和)

 で与えられるため、Q = 1875 kJとなり上記のような熱化学方程式となります。

 本問は「ひずみエネルギー」による結合エネルギーの不安定化を考慮する必要がある為多くの受験生にとっては取り組みづらく、また熱化学方程式絡みの問題の必定として計算量も多めです。試験時間と相談しつつ、場合によっては後回しにしても良いかもしれません。

問3: Li4C4 + 4H2O → 2CH≡CH + 4LiOH

 見慣れない化合物Li4C4に関する化学反応ですが、問題文における「炭化カルシウム(CaC2)と水による反応と同一の有機化合物が生成した」という記述から、本反応ではの生成物の一つがアセチレンであると分かります。

 Li4C4における炭素原子が全てアセチレンになったと仮定すると、残りの原子から水酸化リチウムが生じることが想像できますので、最終的に上記のような化学反応式となります。問題文の条件を踏まえた上で更なる発想力が要求されますが、「本反応はCaC2と水の反応と似たようなものではないか?」という考えに至れば、もう一つの生成物としてLiOHが思い浮かんだのではないでしょうか。

問4: ア: 5 イ: 活性化 ウ: 増加 エ: 減少

 問題文の情報から正答を導き出すタイプの問題です。「立体効果」とは分子が持つ様々な置換基がぶつかりあうことで生じる、結合の回転、分子の立体構造変化、化学反応になどに与える様々な効果全般を指す用語で、大学以降の有機化学では非常に重要な意味を持ちます。

 本問では立体効果の例として、2つの類似したアルカンへの水素付加反応を取り上げています。化合物4と5は一見似たような構造に見えますが二重結合部分に着目すると、化合物4は「小さな」置換基である水素原子が3つ結合した一置換オレフィンであるのに対し、化合物5では「大きな」置換基であるメチル基が2つ結合した三置換オレフィンとなっています。


 すなわち、化合物5ではメチル基の存在により二重結合付近が非常に「混みあった」状況となっています。従って立体効果は化合物5の方が大きく、化合物4の場合と比較して水素が二重結合に接近しづらくなっています。これによって化合物5の還元反応は化合物4と比べると活性化エネルギーが大きくなっており、結果として反応速度の減少に繋がっていると考えられます。

 「立体効果」が何であるかを理解できれば、以降は速度論に関する基本的な知識問題となっていますが、慣れない受験生にとっては問題文の意味を理解するのに時間を要したかもしれません。

問5: 下図参照 問6: 4 (下図(i)の*印)


 無置換のテトラへドランには4つの水素がありますが、そのうち3つを別々の置換基(但し問題文の指定により、各置換基は不斉炭素原子を含まない)に置き換えてあげると、あたかもメタンの4つの水素を別々の置換基に置き換えた時のような1組の鏡像異性体を描くことが出来ます。勿論残りの水素原子を更に別の置換基に置き換えても構いませんが、1つでも置換基が被ってしまうとその時点で光学異性体を持ちません。

 これは無置換のテトラへドランが非常に高い対称性を持つことに起因しており、事実上で示した置換テトラへドランは鏡像異性体を1組しか持ちませんが、四面体の頂点である4つの炭素は全て不斉炭素原子となっています。

 テトラへドランの特徴を活かした面白い問題ですが、4つの不斉炭素に対し1組の鏡像異性体という特異な状況に戸惑った受験生も多いかもしれません。

コメント

 テトラへドランという異質なテーマを扱った本問ですが、それらを上手く有機化学、熱化学、速度論などの分野に落とし込んでおり個人的には面白いと思います。

 但しどの問題1つ取っても即答できるような内容ではなく、総じて難易度は高めです。問1や問3あたりは比較的容易なので完答し、残りについては試験時間と相談しながら得意分野から解答してゆくべきです。特に問4~問6辺りを手早く解答できると、他の受験生に差を付けることが出来たでしょう。

 なお、他の正四面体のうち正六面体(キュバン)及び正十二面体(ドデカへドラン)については無置換の炭化水素の合成が既に達成されています。正二十面体は前提として各炭素原子が5本の結合を形成する必要がある為不可能と考えられており(但しホウ素と炭素から構成される二十面体分子はカルボランとして盛んに研究されている)、正八面体はその歪みの大きさから未だに誘導体を含めて合成されていないようです。

投稿者: matsubushi

趣味で数学など

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