有機ケイ素化合物と大学入試 (2020年 和歌山県立医大)


 地殻中に二番目に多く含まれ、大学入試における無機化学の分野では非常に出番が多いケイ素ですが、反面有機化学分野では合成ゴムの一種としてシリコーンゴムに言及される程度で殆ど出番はありません。実はケイ素原子は化学合成など有機化学の分野でも非常に重要な立ち位置にあるのですが、それらを本格的に習うのは大学でも化学を専修する一部の学生に限られるでしょう。

 今年の和歌山県立医大で出題された本問はそうした有機ケイ素化合物にスポットライトを当てた非常にマニアックな内容です。有機ケイ素に関する予備知識の無い受験生にとっては、問題文から状況を推測せざるを得ず非常に厳しい内容です。

解答

問1: 下図参照

 まず出発点となる化合物Aは与えられた分子式から不飽和度は6と計算され、ベンゼン環以外に2つ分の不飽和度を持った部分構造を持つことが分かります。そして化合物Aはベンゼン環以外に炭素を2つしか持っておらず、更に2分子の臭化水素が付加出来る事から下図に示すような3重結合を持つ芳香族炭化水素であると推測されます。

 
 続いて化合物Bを考えます。3重結合を持つ化合物Aに2分子の臭化水素が付加させた場合、本来であれば複数の生成物が考えられます。しかし化合物Bがメチル基を持つという条件を考慮すると化合物Bの構造式を上記の通り絞り込むことが可能です。

 次に化合物Cを考えます。3重結合に水が付加すると二重結合に水酸基が直接結合した不安定な化合物となり、異性化を経て対応するカルボニル化合物となります。今回の場合上記のようにケトン或いはアルデヒドが生じる可能性がありますが、化合物Cがヨードホルム反応に対して陽性であるという条件から、化合物Cはケトンであると決定出来ます。

 最後に化合物Dですが、水や臭化水素の場合と同様に考えるとすればトリクロロシラン(HSiCl3)のSi-H結合が開裂して、H及びSiCl3が3重結合に付加すると考えられます。

 
 この場合幾何異性体を含めて3種類の生成物が考えられますが、問題文の注1における「幾何異性体を持つ」「立体反発が最も小さい」という条件から、化合物Dは2つの幾何異性体のうちtrans型であると判別出来ます(ベンゼン環とSiCl3は共に大きな置換基であり、cis型では以下の通り立体反発が非常に大きくなります)。

 化合物A-Cまでは標準的な内容ですが、化合物Dについてはトリクロロシランと3重結合の反応を問題文から推測する必要がある為少々厄介です。しかしながら以降の問題は化合物Dの構造を前提にしているものが多く、落とした場合の影響が甚大です。

問2: 下図参照

 化合物DとHSiCl3の反応は前問と同様に付加反応であると考えられます。この場合光学異性体を除けば、付加位置から2種類の生成物が考えられます。このうち不斉炭素原子を持つ方が化合物Eであり、その構造は以下の通りです。

 続いて化合物Fの構造ですが、EからFへの変換反応は高校化学の範疇を越えている為問題文の情報から推測せざるを得ません。「EのC-Si結合が切断されてFとなる」「エチレングリコール誘導体」「不斉炭素原子を持つ」「分子量がC8H10O2」などの情報を統合すると、以下のようなエチレングリコールのメチレン水素の1つがベンゼン環に置き換わった化合物であると結論付けることが出来ます。

 いずれも教科書の範疇を越えた反応を扱っていますが、問題文中のヒントをフル活用することで正答にたどり着けるようになっています。身も蓋もない話ですが、大学入試の場合「問題文中の条件と矛盾が無ければ間違いではない」という事を念頭に置いて、割り切って解答してしまう事も時には重要です。

問3: ア: 263.8970 イ: 265.8950 ウ: 2 エ: 1

 化合物Bには2つの臭素原子が含まれるため、同位体の違いを考慮すると相対質量の小さい順にC8H879Br2、C8H879Br81Br、C8H881Br2の3通りが考えられます。従って1H, 12C, 79Br, 81Brの相対質量を基に計算すれば、化合物Bが取り得る相対質量は小さい順に261.8990, 263.8970, 265.8950です。

 また79Br及び81Brは等しい確率で化合物Bに取り込まれる為、上記の相対質量の存在確率は25%、50%、25%であり比で表せば1:2:1となります。このように臭素を含む化合物は安定同位体に起因する複数の相対質量を取り得る為、化合物中における臭素原子の有無やその個数は質量分析によっても推測する事が可能です。

 本問は同位体に関する標準的な内容であり、化合物Bの構造が分からなくても解答可能である為是非とも完答したい所です。但し相対質量は小数第四位まで正確に計算する必要があり、単純計算とはいえ試験場ではそれなりに神経を使います。

問4: 17個

 「ベンゼンを構成する全ての原子は同一平面上に存在する」「エチレンを構成する全ての原子は同一平面上に存在する」という二つの事実を念頭に置けば、下図左側のようにベンゼン環とトランス二重結合が同一平面に並ぶように配置することで、塩素原子を除く16個の原子を同一平面上に配置できます。

 またケイ素の結合角は基本的に炭素と同じなので(無機化学では頻出)、不飽和結合を持たないケイ素原子の場合はメタンと同様にほぼ正四面体構造を取っていると考えられます。C-Si結合は自由に回転できると考えられ、上図右側のようにケイ素に結合した3つの塩素原子のうち、1つまでは上述の平面上に存在させることが可能です。

 残る2つの塩素はどのように頑張っても同じ平面上に存在させることはできず、結局化合物Dは最大17個の原子を同一平面上に配置することが出来ます。

 本問は化合物Dの構造を前提として成り立っており、更に有機化合物の3次元構造に対する総合的な理解が問われます。特に「17番目」にあたる塩素原子の存在は失念しやすく、見かけ以上に正答率は低いものと思われます。

問5: Si-O-Si

 シリコーンゴムなどの有機ケイ素高分子は、主骨格に「Si-O-Si」で表されるシロキサン結合を持ちます。問題文にもある通り、シロキサン結合はSi-Cl結合が加水分解によってシラノール基(Si-OH)となった後、脱水縮合を起こすことで生じます。

 
 高分子に関するややマニアックな内容の知識問題ですが、他の問題の難易度を考えると得点しておきたい箇所です。

問6: 下図参照

 化合物Gは「ケイ素を含む5員環構造を持つ」という情報から、ジクロロジメチルシラン及び化合物Fが縮合して新たな環構造を形成したものと考えられます。問題となるのはその縮合様式ですが、問5よりSi-Cl結合は加水分解を受けてシラノール化合物になり、他の官能基と縮合重合を行う事が示唆されています。

 
 ジクロロジメチルシラン単独であれば加水分解後ポリマー化すると考えられますが、二価アルコールである化合物Fが共存していれば、2回の脱水縮合を経てケイ素-酸素-炭素5員環を含む化合物が生じる可能性があり、これが化合物Gと考えられます。

 本問の反応も教科書の範疇を越えている為、問題文の情報や前問の内容を踏まえながら色々と推測する必要が有り難問の類と言えます。

問7: 光学活性な化合物を反応の触媒として利用することで、一方の鏡像異性体が生成する経路の活性化エネルギーを選択的に低下させ、結果として対応する鏡像異性を選択的に合成することが出来る。

 不斉炭素原子を持たない化合物(化合物D)から、不斉炭素原子を持った化合物(化合物E)が生成する反応では通常2つの鏡像異性体が等しい割合で生じ、生成物はラセミ体となります。しかし有機合成の世界では一方の光学異性体のみを合成したいというケースは非常に多く、様々なアプローチが行われています。

 その中で最も代表的なものが、不斉触媒と呼ばれる光学活性な金属錯体を利用した触媒の利用です。日本では野依良治博士が開発した不斉水素化触媒などが有名です(2001年にノールズ及びシャープレルと共にノーベル化学賞を受賞)。原料の代わりに触媒を光学活性にすることで、一方の光学異性体のみを選択的に合成する事が可能です。

 但し、不斉触媒の考え方は高校生にとってはあまり馴染みが無いため答えられた受験生は僅かだったのではないでしょうか。

コメント

 有機ケイ素化合物に切り込んだ斬新な内容ですが、総じて難易度は高めです。問1の後半、問2及び問6では高校化学の範疇を越えた反応について試験場で推測を働かせる必要があり、問4の原子の配置に関する問題は化合物Dの構造を前提としている上にミスしやすく、問7の不斉触媒に関する記述も高校生にとっては厳しい内容です。

 標準的な内容と言えるのは、問1の前半(化合物Cまで)、問3、問5であり、この辺を落としてしまうと得点できる箇所が無くなってしまいます。

 

投稿者: matsubushi

趣味で数学など

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