アレン誘導体と鏡像異性体 (2002年 東大・後期)

 
 特定の分子式(問Iで決定する)を有する炭化水素の異性体に関する問題で、計算量がやや多いものの問IVまでは東大入試として標準的な難易度に収まっています。一方で問V及び問VIは高校化学では本来扱われないアレン誘導体に関する内容となっており、試験場での理解力と記述力が問われる難問となっています。

 なお本問が出題された当時は、気体の単位としてパスカル(Pa)ではなく標準気圧(atm)が採用されていました。1 atm ≒ 1.013 x 105 Paであり当然対応する気体定数の値や単位も変わってきますが、考え方はこれまでと同じです。

解答

問I: C5H8

 化合物Bの炭素含有率は88.2%であり、他に水素原子しか含まないことから水素含有率は差し引き11.8%と計算されます。従って化合物Bを構成する炭素原子と水素原子のモル比はおよそ1:1.6 = 5:8であり、組成式はC5H8と与えられます。

 次に必要となるのは化合物Bの分子量ですが、これについては引き続く文章から求める事が出来ます。

 化合物Bは1 atm, 47℃で気体であり、気体の状態方程式 PV = nRTから、P = 1 atm, V = 1 L, T = 320 Kの時の物質量は n ≒ 3.81 x 10-2 molとなります。 与えられた密度から、このときの質量が2.6 gであるので化合物Bの分子量は 2.6/(3.81 x 10-2) ≒ 68となり、化合物の分子式は組成式と同じC5H8と決定されます。

 計算が少々面倒ですが、内容は標準的です。何より以降の問題は全て化合物Bの分子式を起点としている為、多少時間を要してでも正確に解答する必要があります。

問II: 下図参照 (cis-/trans-ポリイソプレン)

 「弾性」というキーワードから天然高分子Aが天然ゴムであると推測されます。このことは、天然ゴムの単量体であるイソプレンの分子式と問Iで求めた化合物Bの分子式が同一であることからも強く支持されます。

 イソプレン(別名: 2-メチル-1,3-ブタジエン)は分子内に2つの二重結合を持つジエン化合物の一種であり、付加重合によってポリイソプレンとなります。重合体の繰り返し構造はcis型及びtrans型に起因する二種類が考えられ、以下の枠線内が解答となります。


 ゴムノキ樹液中に含まれるポリイソプレン(いわゆる天然ゴム)はcis型の繰り返し構造を主成分としますが、人工的にイソプレンを付加重合させた場合は少量のtrans型構造を含みます。また、ガタパーチャと呼ばれるアカテツ科植物の樹液から得られる樹脂はtrans型ポリイソプレンを主成分とし、ゴルフボールの外皮剤などに利用されているようです。

 高分子化学について真摯に学習している受験生であれば「C5H8 → イソプレン → 天然ゴム」と連想して、手短に解答できたものと思われます。

問III: 下図参照 (シクロペンテン)

 化合物Cの分子量は化合物Bと同じ68なので、0.17 gの化合物Cの物質量は 0.17/68 = 2.5 x 10-3 molとなります。一方反応で消費された水素は標準状態で56 ml = 5.6 x 10-2 Lであるので、その物質量は 5.6 x 10-2/ 22.4 = 2.5 x 10-3 molと計算されます。

 すなわちこの反応で消費された化合物Cと水素の物質量は等しく、化合物Cが持つ不飽和結合は二重結合が1つだけと分かります。従って不飽和度を考えると化合物Cには環構造が1つ存在します。

 以上の条件と還元後の化合物がメチル基を含まないという条件を併せることで、化合物Cは分岐構造を持たない脂環式炭化水素のシクロペンテンであると分かります。


 反応で消費された化合物Cと水素の物質量比を計算する必要がありますが、計算部分に関してはセンター試験レベルです。化合物Cが二重結合を1つしか持たないという事実から、環構造の存在に結び付ける部分も決して難しくはありません。

問IV: 下図参照

 一見自由度が高い問題に見えますが、実は分子式C5H8で不斉炭素原子を持つ構造は以下に示す3種類しかありません。


 いずれも二重結合と環構造を1つずつ持つタイプの化合物で、かなり突飛な構造を持つことから全て見つけ出すには意外と時間がかかったかもしれません。もし本問が不斉炭素原子を持つ構造を「全て」書き出せ、となっていたら正答率はかなり低いものになっていたと予想されます。

問V: 下図参照 (Q1~Q4の合計4種類)

 3つの炭素が2つの二重結合で結ばれているような化合物群はアレン(allene)と呼ばれており、図4に示したような特徴的な3次元構造を有します。本問は分子式C5H8で与えられるアレン化合物を全て書き出すことが目的となります。

 5つの炭素のうち3つの炭素原子はアレン骨格の形成に利用されており、アレン構造の不飽和度が2であることを考えると、X1~X4に入る置換基としては「エチル基が1つ」または「メチル基が2つ」の2通りが考えられます。

 
 まず「エチル基が1つ」の場合ですが、X1~X4のどこがエチル基に置換されたとしても分子を回転させることで互いに一致させることが出来る為、このような化合物は1通りに定まります(= Q1、上図ではX1 をエチル基としていますがX1~X4のどこ置いても正答となります)

 次に「メチル基が2つ」の場合ですが、理論上はX1~X4の4か所のうち2か所がメチル基となるので最大6通り(4C2)の構造が想定されます。

 このうちアレン骨格の一端に2つのメチル基が結合するパターンは2通り存在しますが(X1 = X2 = Me または X3 = X4 = Me)、両者は回転操作を行うことで同一の構造と見なすことが出来ます(=Q2)。

 残る4つはアレン骨格の両端にメチル基が1つずつ結合するパターンですが、同様に回転操作による重ね合わせからQ3 (X1 = X4 = Me または X2 = X3 = Me)とQ4 (X1 = X3 = Me または X2 = X4 = Me)に分類することが出来ます。Q3及びQ4はどのような回転操作によっても互いに重ね合わせることは出来ず、別々の化合物としてカウントされます。

問VI: Q2とQ3、Q2とQ4は互いに構造異性体の関係にあり、融点、沸点、密度などの物性(物理的性質)や他の化合物に対する反応性は互いに異なると考えられる。一方でQ3とQ4は互いに鏡像異性体の関係にある為、旋光度の符号を除いた物理的性質は一致する。またQ3とQ4の化学的性質は対称面を持つ化合物に対しては同一であると思われるが、対称面を持たない化合物については互いに異なることが予想される。また核酸やタンパク質など生体高分子の多くは非対称な構造を有する為、Q2, Q3, Q4の生理的活性は互いに異なると考えられる。


 問Vで解答した4つの構造のうちメチル基を2つ持つのはQ2 ,Q3, Q4の3種類ですが、このうちQ2は原子間の結合関係が他の2つ(Q3, Q4)とは異なっており、Q2は他2つとはいずれも構造異性体の関係にあります。一方でQ3とQ4は原子間の結合様式は完全に一致していますが、鏡面に関して対称であり鏡像異性体の関係にあります。

 高校化学では「鏡像異性体 = 不斉中心(不斉炭素原子)」として教えられますが、実際には不斉中心の存在は鏡像異性体を持つ為の必要条件に過ぎません。Q3とQ4のようなアレン誘導体は不斉中心を持ちませんが、分子内に対称面を持っておらず鏡像異性体を持つための条件を満たしています。

 文字数が指定されていない為、解答例は200字を超える大論述となっていますが少なくとも物理的性質についての記述(特に旋光度)は必須です。化学的性質や生理活性についてはどこまで記述するか迷いましたが、本問では鏡像異性体の性質の違いを重点的に問われている気がする為、(相手化合物の対称性に応じた化学的性質の差異など)可能な限り記述しておくべきでしょう。

コメント

 分子式を決定した後の各問は問Vと問VIを除けばほぼ独立していますが、難易度は概ね番号順となっています。問IVまでは東大入試としては標準的な計算・知識問題なので、多少時間をかけてでも完答したい所です。

 一方で問Vは多くの受験生にとって初めて目にするであろうアレン化合物について、取り得る構造を立体化学を含めて全て羅列させるという非常に神経を使う内容であり、重複や数え漏らしの危険性も高いです。

 続く問VIは問Vの理解が前提となっている上に、Q3とQ4が(不斉中心が無いにもかかわらず)鏡像異性体の関係にあることを見抜く必要があり、要求される論述量も多めとなっています。

 「不斉中心を持たないが鏡像異性体を持つ化合物」というトピックは非常に面白いですが、本番では後半部分の二問は後回しにするのが得策と言えるかもしれません。

 

投稿者: matsubushi

趣味で数学など

アレン誘導体と鏡像異性体 (2002年 東大・後期)」に2件のコメントがあります

  1. 高校で化学を教えているものです。
    興味深い問題選択と、解説の面白さや視点などいつも楽しみにしています。

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    1. コメントありがとうございます。旧帝大や医科系の化学は特に個性が強く出ていて面白い印象です。

      化学の記事はどうしても文章量が多くなってしまい、更新頻度は低めですが今後もご覧いただけますと幸いです

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