強いクマムシと弱いクマムシ (2021年 東大生物・第一問-I)


 

 
 クマムシとは緩歩動物門に属する生物の総称であり、これまでに1000を超える種が陸上・水中問わず報告されています。名前に「ムシ」とついていますが、節足動物と比較すると原始的であり、回虫や蟯虫といった線形動物に近いようです。

 系統樹的にはマイナー感が否めないクマムシですが、ヨコヅナクマムシなどある種のクマムシは乾燥状態下で「乾眠」という現象により、体中の水分を失うと共にほぼ全ての生命活動を停止します(図1)。

 驚くべきことに「乾眠」状態にあるクマムシは環境ストレスに対する極めて高い耐性を獲得します。絶対零度に迫る低温や100℃近い高温、あるいは真空や人工ダイヤモンド合成に必要な高圧など、通常では考えられな程過酷な状況に置かれたとしても、給水するだけで生命活動を再開するとされています。

 これは納豆菌などの微生物が胞子を形成する事で環境ストレスに対する耐性を獲得する現象に似ていますが、多細胞生物でこうした性質を持つものは稀である為研究対象となっています。

 本問は3種類のクマムシにおける乾眠に関する性質の違いに着目し、特定の遺伝子がクマムシの乾眠に与える影響を考察させる内容となっています。

解答

A: 脂質膜の主要構成成分であるリン脂質は分子内に親水基と疎水基の両方を持つ両親媒性物質である。水の存在下におけるリン脂質は互いの疎水基が内側を向き、親水性が外側を向いた二重膜構造を取ることで安定化し、これが生体膜の構造維持に大きく寄与している。(120字)

 この問のみ本文の内容とは殆ど関係は無く、生体膜の形成に関する事前知識に基づいた記述問題となっています。生体膜の構成成分であるリン脂質の両親媒性に着目して記述すればよいのですが、3行程度(約100~120字)と記述量はやや多めなので日頃の演習量の差が出ると思われます。

 主要構成成分としてリン脂質を挙げた上でその両親媒性に言及し、水中で二重膜構造を取る事を記述すれば大筋は大丈夫なはずです。

B: ヨコヅナクマムシ – (3) ヤマクマムシ – (5)

 文Iと実験1, 2の結果から2種類のクマムシが乾眠を正しく行うために必要な条件を考察します。

実験1について 
 ヨコヅナクマムシとヤマクマムシはいずれも乾眠を行う能力を持っていますが、その条件に関して以下のような違いが見られます。

ヨコヅナクマムシ
→突然の強い乾燥曝露に対して即座に乾眠状態となり、生存する事が出来る。

ヤマクマムシ
→突然の強い乾燥曝露に対してはなすすべなく死滅するが、事前に弱い乾燥状態(事前曝露)に置くことで何らかのスイッチが入り、続く強烈な乾燥曝露に対して乾眠状態を取ることが出来るようになる。

 実験1よりヤマクマムシは事前の弱い乾燥状態が引き金となり、そこで初めて乾眠可能な状態へと移行することが分かります。一方でヨコヅナクマムシは常に乾眠可能な状態を維持しています。いずれの種も適切な手順を踏めば乾眠状態に入ることは出来る為、この段階で選択肢(6)の可能性は排除されます。

実験2について
 次に転写阻害剤や翻訳阻害剤を投与する事で、事前曝露や乾燥曝露後のmRNAやタンパク質合成を阻害します。乾燥曝露なし・阻害剤処理の条件でいずれの種も生存していることから、この段階で選択肢(1)の可能性は除外されます。

 よって残る選択肢(2)~(5)という事になりますが、これまでの議論と実験2の結果から以下のように結論づける事が出来ます。

ヨコヅナクマムシ
→ 転写及び翻訳阻害剤を添加した条件下においても、乾燥曝露に対して即座に乾眠状態となる事が出来る。すなわち事前曝露以前の時点で乾眠に必要な遺伝子の転写・翻訳は完了しており、対応するタンパク質を常時保持した状態であると考えられるので答えは(3)

ヤマクマムシ
→ 転写または翻訳阻害剤添加によって、事前曝露を行った後であっても乾眠が出来なくなる。すなわち事前曝露以前は乾眠に必要なタンパク質をコードしている遺伝子は転写も翻訳もされておらず、事前曝露によってはじめて転写・翻訳が開始されると考えられるので答えは(5)

 比較的読み取り易いデータが多く、選択肢も紛らわしいものが少ないため難易度は低めです。但し実験2おける翻訳阻害剤添加の結果は図1-3に掲載されておらず、文章中で手短に言及されているだけなので見落としに注意が必要です。

C: (遺伝子名): 遺伝子B
(理由): 遺伝子Bは事前曝露処理によって転写量が増加し、翻訳阻害剤による影響を受けない。従って調節タンパク質を介さず、乾燥ストレスに直接応答して転写が開始される初期遺伝子と考えられる。

 ここから文2及び実験3の結果に関する考察に移ります。上記の通りヤマクマムシはヨコヅナクマムシと異なり、通常の環境条件では乾眠に必要な遺伝子の転写・翻訳は行われておらず、事前曝露によるストレスを引き金に転写・翻訳が開始されると考えられます。

 このようなストレス応答には複数の遺伝子が関わっていることが多く、今回はそのうち3つの遺伝子(A, B, C)に着目しています。いずれの遺伝子も事前曝露による乾眠能の獲得に必須ですが、実験3の結果からその転写・翻訳のタイミングが異なっている事が分かります。

遺伝子A
→ 事前曝露後に初めて転写が開始される遺伝子であるが、その転写は転写阻害剤のみならず翻訳阻害剤の添加によっても完全に抑制されている。すなわち、事前曝露後に翻訳される調節タンパク質の存在が転写開始に必要である可能性が高く、後期遺伝子であると考えられる。

遺伝子B
→ 事前曝露後に初めて転写が開始される遺伝子であり、その転写は転写阻害剤により完全に抑制される一方で翻訳阻害剤による影響を受けない。すなわち、事前曝露を受けて最初に転写が開始される遺伝子であると考えられ、これが乾燥ストレスに対する初期遺伝子と考えられる。

遺伝子C
→ 遺伝子AやBと異なり、事前曝露を行う前から常に転写・翻訳が行われている。従って遺伝子Cは乾燥ストレスに対する応答ではなく、乾燥ストレスの感知やシグナル伝達に関わる遺伝子であると考えられる。

 以上より乾燥ストレスに対する初期遺伝子は遺伝子Bと考えられます。

 対応する文章や実験項は短いものの、答えと共に選んだ根拠を記述する必要がある為難易度は前問より高めです。常に発現している遺伝子Cが初期遺伝子で無い事はすぐにわかると思いますが、遺伝子AとBの違いついては調節タンパク質の機能を正しく理解し、転写阻害剤と翻訳阻害剤の役割を見抜く必要があります。

D: ヨコヅナクマムシ-(1) 種S-(4)

 Cで答えた通り、遺伝子Aは乾燥ストレスに対する後期遺伝子と考えられます。これまでの実験結果や設問文の情報からヨコヅナクマムシ及び種Sにおける遺伝子Aの状況について、以下の通り考える事が可能です。

ヨコヅナクマムシ
→先にも記した通り、本種は乾眠に必要な遺伝子の転写・翻訳を常に行っていると考えられる。従ってタンパク質Aに関しても事前曝露の有無によらず常に保有していると考えられ、対応するグラフは(1)である。

種S
→遺伝子Aを持っているが、事前曝露の有無に拠らず乾眠を行う事が出来ない種である。一方で遺伝子Aを強制発現することによって、乾燥曝露に対する生存率が上昇したことから遺伝子Aの機能は維持されていると考えられる。従って種Sは遺伝子Aの転写・翻訳の制御に問題があり、事前曝露の有無によらずタンパク質Aを作ることが出来ないと考えられ、対応するグラフは(4)である。

 ヨコヅナクマムシに関しては特に問題はありませんが、種Sについては設問文の記述を踏まえた考察が必要となります。強制発現に関する結果から、遺伝子Aの機能は正常であり、その発現制御に問題がある事に気が付けるかが鍵となります。

 今回の結果だけでは種Sが乾燥ストレスに対する耐性を持たない原因を特定する事は出来ませんが、例えば遺伝子Aに対する調節タンパク質遺伝子の欠損や機能低下、或いは乾燥ストレスの感知に関する問題などが考えられます。

問E: 薬剤Y-(1)(2)(3) 薬剤-(4)(5)

 薬剤Y及びZは共にヤマクマムシの乾燥ストレス応答を阻害しますが、これまでの議論と遺伝子A及びBの転写解析の結果からその作用点を以下のように推測する事が可能です。

薬剤Y
 初期遺伝子である遺伝子BのmRNA量が低下していることから、薬剤Yは初期遺伝子の転写を直接阻害するか、更に上流であるストレスの感知或いはシグナル伝達を阻害して、結果的に遺伝子Bの転写量を低下させたと考えられる。
 また、初期遺伝子の転写が阻害されれば、下流の後期遺伝子の転写も阻害されると考えられ、遺伝子AのmRNA量が低下した事実とも矛盾はない。
 一方(4)以降の経路を阻害した場合遺伝子BのmRNA量に変化はないはずなので、薬剤Yの作用点としては当てはまらない。以上より薬剤Yの作用点として考えられるのは(1)(2)(3)のいずれかである。

薬剤Z
 初期遺伝子である遺伝子BのmRNA量は変化していない事から、初期遺伝子の転写及びその上流は作用点として除外される。また(6)や(7)を作用点とするならば後期遺伝子である遺伝子AのmRNA量も変化しないはずなので、これも除外される。
 従って残る可能性は(4)または(5)であるが、いずれを阻害したとしても実験結果と矛盾しない為薬剤Zの作用点として考えられるのは(4)(5)である。

 問Cにおいて、遺伝子AとBの違いを正しく理解できた受験生であれば本問は然程難しくはありません。問Cが出来なかった場合、本問も芋づる式に間違える形となります。本問が記述式であればかなりの難易度ですが、選択肢式である点に温情を感じます。

コメント

 設問A以外は問題文や実験データに基づいた考察が必要な問題であり、事前知識よりは読解力・解析力が重要となる東大らしい問題です。標準的な知識問題であるAと比較的データを読み取り易いBとDは抑えておきたい所で、残るCとEが出来たか否かで差がついたのではないかと思われます。

 なおクマムシの乾眠に関する研究は東大理学部の國枝准教授の研究室で盛んに行われており、恐らくは本問題の担当者であったと思われます。

 

 

 

投稿者: matsubushi

趣味で数学など

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